長々部 良一 RYOICHI OSAKABE

フェニックス東京本社 / 元代表取締役

フェニックスでのあなたの役割について教えてください。

私が入社した当時は、1988年。ソウルオリンピックで盛り上がっていた時代でした。もともと独立する予定だったのですが、縁あってフェニックスに入社して、その代わり自分が代表者のつもりで取り組もうという意気込みはありました。それからは採用や事業戦略、その一環での中国・蘇州工場の立ち上げと、夢中で仕事に取り組んで、なかなかエネルギーのあるスタッフも多くて楽しかったですね。私が蘇州に工場を建設すると決めたのは、街を歩いていてゴミが落ちていなかったこと、水が綺麗だったこと、そして人が良かった。良い意味でギラギラしているエネルギーがありながら、どこか優しい部分と生真面目な部分を持っていた。こういう良い環境と良いメンタリティなら良いものづくりができると確信しました。
現在では、1999年に入社してきた脇坂が代表取締役として頑張っていますが、まだまだ伸び代もあるし、少しでも精神的支柱になることができたら喜んでサポートしていく立場にあると思います。いずれにせよ、後任をしっかり決めることが、トップの最後で最大の仕事であったと思いますし、それは間違っていなかったと思いたいですね(笑)。

仕事や会社において、これから挑戦したいこと、目指していることについて教えてください。

もう引退した身なので、自分自身としては第二の人生で何を成すか、試行錯誤を続けております。ただ、脇坂をはじめとする経営陣にはやってもらいたいことが色々とある。今のフェニックスは気持ちやモチベーション、技術的な根本はしっかりと受け継がれている。だからこそ、フィールドをニットの真ん中でやっていくのか、違うやり方を作り上げていくのか。それはみんなの手腕にかかっていますよね。
脇坂に対しては社長としての自分だけでなく、自分の人生をどう生きていくのかも真剣に考えて欲しい。そして、なにかをしようとした時に、仲間を巻き込み、それぞれに役割や居場所を与えていくような存在に成長して行ってくれたら嬉しいですね。そういう伸び代にも期待をしながら、成長を眺めていたいなと思っています。

仕事以外で挑戦していることや楽しみにしていること、趣味などについて教えてください。

私は常々、「人生とはなんなのか?」ということを考えて生きてきました。ですから、これから「やりたい!」と思えることをもう一度探していきます。難しくも楽しい時間ですね。失敗もあるし、うまくいかないことも当然ある。この家も新しく立てたのですが、場所と素材選びで5年かけました。梅が好きだから庭に植えたり、蘇州から頂いた紅梅図の絵を中心に間取りを決めたり、家のことに手を入れながら、今はひたすら読書の日々です。

あなたにとってフェニックスはどのような存在、場所でしょうか?

私にとっては「人生の半分くらいの場所」という感じですかね。
残り半分はこれからですよ。